こんにちは、佐伯リノです。
最近、保育の現場を見ていて強く感じることがあります。それは、私たち保育士は「感覚」を大切にする反面、自分たちの保育を「言語化」し、理念と照らし合わせることが少し苦手なのではないか、ということです。
■その「自主性」は本物ですか?
園には「保育理念」があり、それを元に年間計画や月案が立てられます。例えば「子どもの自主性を育む」という目標を掲げているとしましょう。でも、実際の現場ではこんなことが起きていませんか?「折り紙は好きなものを選んでいいよ(自主性)」と言いながら、「でも1枚使い切るまで次はダメだよ(制限)」というルールがある。「自由に遊んでいいよ」と言いながら、実は保育者が管理しやすい範囲でしか動かしていない。もちろん、園としてのルールは必要です。しかし、そのルールは本当に「自主性を育む」ために必要なのか? それとも、ただ「大人が管理しやすいから」存在しているのか?そこに疑問を持たずに、目標と行動がブレてしまっているケースが少なくありません。
■ 「なぜそうするのか?」という問いを忘れない
例えば、歌を歌う場面。「楽しく歌おう!」と言いながら、子どもたちを白線の上にきっちり並ばせ、動かないように指導する。小学校入学を見据えて集団のルールを学ぶ時期も必要ですが、果たして「楽しく歌う」ときに、そこまで厳格な整列が必要なのでしょうか?「なぜ、今これをさせているのか?」この問いを自分たちに投げかけないまま、慣習的に「枠にはめる保育」をしていないでしょうか。
■ 「枠にはめる」ほうが楽だけれど……
子どもたちが全員同じ行動をしてくれたほうが、保育士にとっては間違いなく「やりやすい」です。でも、非認知能力が注目される今、求められているのは「自分で考えて行動する力」を育むことです。体制や人員配置の問題で、理想の100%には届かないこともあるでしょう。大切なのは、「理想と現実のズレに気づけるかどうか」です。「これって本当に自由かな?」「自分の言葉と行動は矛盾していないかな?」そうやって日々の保育に小さな疑問を持つことが、保育の質を変える第一歩になります。
■最後に
皆さんの園では、日々の保育の中で「これってなんでだろう?」と疑問に感じることはありませんか?当たり前だと思っている習慣の中に、子どもたちの可能性を狭めているものがあるかもしれません。新しい年度が始まった今だからこそ、自分たちが目指す保育と、目の前の子どもたちの姿を、もう一度丁寧に見つめ直してみませんか?
スキルアップにいかがでしょうか?
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